術後のリハビリと退院までの日々(2018年12月〜)

舌癌サバイバル記

術後のリハビリと退院までの日々(2018年12月〜)

はじめに

前回の記事では、手術当日の様子を書きました。今回は、術後のリハビリや退院までの生活について、当時の経験を振り返ってまとめてみます。

術後直後の状態

舌の一部を切除・縫合しているため、しばらくは口からの飲食は禁止でした。栄養は抹消静脈からの輸液(PPN)で管理。右腕・左腕の両方から24時間ずっと点滴を受けていた記憶があります。脂肪乳剤も使っていたように思います。強い痛みはありませんでしたが、静脈炎の影響で腕が少し痛んでいました。

不思議なことに、術後の傷口の痛み自体はそれほど気になりませんでした。ただ、口の中は真っ白。経口摂取ができないため、舌苔がたまっていたのだと思います。この時は「縫合がしっかりくっついてくれますように」と、そればかり願っていました。

そして、数日経つと縫合部分に電気が走るような「ピリッ」とした感覚が複数回ありました。医学的にそういうものなのかはわかりませんが、私にとっては「舌が一生懸命くっつこうとしている」と実感できた、ちょっと面白い体験でした。

食事の再開まで

PPNは1週間ほど続き、その後は経鼻チューブでの栄養に移行しました。シリンジに濃厚流動食を吸い取り、それをチューブに接続して胃に押し流す方法です。いわば“ところてん方式”ですね。

押し出すには意外と力が必要で、最初は義父に手伝ってもらっていました。自分でもやってみましたが、びくともしないこともあったほどです。

点滴を併用していたので口の渇きはなかったものの、「早く口から食べたい」という思いは日ごとに強くなりました。ただ、水を含むことすらなかなか許可が出ず、焦る気持ちを抑えるのに苦労しました。

喋ることに関しては、この頃には少しずつ可能になっていたと思います。とはいえ、舌の可動域が狭まったため発音は不明瞭に。特に中国語は日本語より発音の種類が多いので、もともと得意ではなかった私には余計に難しくなりました。それでも会話しないと生活できないので、必死に話していました。流暢さとは程遠かったですが、「喋れること自体」がありがたかったです。

リハビリの日々

特別な発声や発音のリハビリはなく、義父との会話が自然とリハビリになっていました。私の中国語は四声が壊滅的なため、義父には苦労をかけたと思います。それでも毎日付き合ってくれました。ありがたい存在でした。

飲み込みに関しても、特にリハビリはありませんでした。経口摂取の許可が出て最初に食べたのはお粥。味というよりも「口を使い、喉を通して、胃に届く」その感覚が本当に新鮮で、心から嬉しかったのを覚えています。今回は舌とリンパ節の一部を切除しただけだったので、幸い嚥下障害はなく、飲み込みも問題なくできました。

今振り返って思うこと

このころは1日1日が過ぎるのが早く感じました。自分でやれることはものすごく制限されており、ごろごろ横になったり、廊下をゆっくり散歩するのが大事でしたね。

そして、口から食べること。TPN(中心静脈栄養)や胃瘻など、医学的には経口摂取できなくても命をつなぐ方法があることは知ってます。ただ、「口から食べる」という生理的な行為ができないのは、自分にとっては非常に耐えがたいことでした。実際、この中国での入院のあと、日本での入院中にも経口摂取ができない期間を経験しましたが、その時にも同じ思いを強く感じました。

次回予告

入院生活から退院までについて記載したいと思います。

⭐️参考リンク

PDN(Patient Doctors Network)

胃ろう(胃瘻・PEG・ペグ)と栄養に関する情報を提供する|NPO法人PDN
経腸栄養法のひとつであるPEG(経皮内視鏡的胃瘻(いろう)造設術)および関連する栄養療法全般についての情報提供を行う、NPO法人PDNのホームページです。

→ 医学的栄養管理についてのまとめサイト。胃瘻(PEG)、経腸栄養、静脈栄養など入院した際にお世話になる可能性がある栄養管理についてはこちらに詳細が記載されています。

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